昔の甲府城へタイムトリップ
こんばんは!
昨日は持病の片頭痛でダウンしてしまいました。。。
ベッドの上で痛さにのたうち回っているとき、はて、戦国武将も片頭痛持ちだった人なんているのかなと疑問がわきました。
頭痛持ちの戦国武将。。。今度調べてみたいものですねえ。
さてさて、今日は古写真のなかの城です。
僕も甲府城に行ったことがあるのでわかるのですが、これは城の南側から見た写真で、堀にかかる橋が「ゆうきはし」です。
今は左右の石垣のうえに土塀が復元されていますが、この頃はまだありません。木々もうっそうと生い茂っていて、いかにも古城という感じがしますねえ。
よく見ると、おそらく遊びに来た少年たちが橋の上に集っています。
城跡で遊べる少年時代なんて、うらやましくて泣けてくるぜ!!
左上には東日本最大といわれる高石垣の天守台も見えますね。
で、疑問に思っていたのが、右側の大きな洋館です。これはなんでしょう?
甲府市のウェブサイトで調べてみると、明治39年に建てられた「機山館」という建物だそうです。
機山館??
機山館は、民間の出資により建てられた公会堂とのこと。どこもそうですが、明治期以降は城跡の活用が進んで、甲府城も葡萄酒醸造所、停車場など様々に活用されたみたいです。城跡にあっても、あまり違和感のない設計なのがスゴイ。。。
いまの舞鶴公園は門、櫓、石垣などが復元されて、昔と変わらず、多くの人の憩いの場になっています。
たくさんの人から愛されるお城、いいですよねえ。
天翔記に甲府城は出て来ませんが、甲府城を築城した浅野長政は登場します。
政才 148A
戦才 132B
智才 96B
完全に政治向きの武将です。以前、本能寺の変のシナリオで真田家を取ったとき、割と早い段階で家臣にすることができました。このシナリオはゆっくり内政をやっている暇がないので浅野さんごめんねー、ということで、戦才132Bと鉄砲Dに期待し、鉄砲隊として最前線に投入。鍛えまくった結果、なかなか頑張ってくれた覚えがあります。
今日もブログを読んでいただき、(人''▽`)ありがとうございました☆