やあやあ、戦国時代へようこそ!

信長の野望天翔記にハマり続けているブログです。

ぐるぐるまわされる法螺貝の城

 こんばんは!

 

 今日は栃木県の栃木市皆川地区にある皆川城をご紹介します。

 

 この城の別名は「法螺貝城」といい、なんでも城全体をいくつもの帯郭で囲われていて、それが法螺貝のように見えるのが由来だそう。

 

 では、さあ、出発!

 

 あ、城の登り口には、地域の方々が作った「皆川の歴史と文化」の無料パンフレットがあるので、とてもありがたしです!

 

 

 で、城の登り口にいきなり竪掘の跡。いいねえ!!僕ならもうひるむ(笑)

 

 

 

 登城口から、やや北東を見て撮影しました。櫓のような建物が主郭のあった場所。ここから見ただけでも、城全体を帯郭がぐるぐる巡っているのがわかりました。

 

 

 

 こんな感じで道は登り坂で続いていきます。写真には写っていませんが、僕の前には遠足で来ている小学生たちがいて、いやーもう、みんなすたすた歩くんですね。

 

 若いっていいなあ(笑)

 

 

 

 頭文字Dにでも出て来そうなヘアピンカーブです(笑)

 

 

 

 石の露出しているところがあったので撮影してみました。ボロボロ落ちて来そうな感じですよね。ちなみに皆川城には石垣が使われていないので、これは元々のこの山の石です。これでは石に足をかけて登るのは無理でしょうから、攻撃側はやはり主郭を目指してぐるぐる周るしかないのかもしれません。

 

 

 

 およそ30分程かけて、主郭部分へ到着!このような物見台があって、周辺の景色を楽しむことができます。肝心の「皆川城址」の石柱が光に反射して写真では見えずらい。。。くぅ~!!

 

 


 主郭から眺める景色。やはりひときわ城が高いので、味方や敵の動きが一目瞭然でわかりそう。景色が広くて気持ちいい!!

 

 

 さて、この皆川城は、皆川氏の居城で、戦国時代には皆川広照が城主を務めていました。しかし、関東の大勢力北条氏との微妙なかじ取りを迫られるなかで、豊臣秀吉による小田原城の戦いの際には、北条側に付き、皆川城は上杉景勝に攻められて落城(泣)。。。

 

 上杉景勝、こんな遠いところまで来たんすね。。。

 

 

 天翔記では、皆川城は登場しませんが、皆川広照は登場。宇都宮氏の家臣です。

 政才 120B

 戦才 112B

 智才 44C

 うーむ。使いづらい。ゲームでは悲しい能力なんですが、現実世界の広照さん、いいものを持っていたんです。それが南蛮胴具足。なかなか洒落てるじゃありませんか。新しいものが好きな武将だったのかな?今は市有形文化財に指定されているそうです。

 

 ちなみに広照は、徳川家康の六男松平忠輝を育て、関ケ原の戦いにも徳川側として参加。。。けれど、忠輝乱行を幕府に訴えたため、謹慎改易で、最終的には常陸国石岡で1万石となったそう。波乱万丈の人生を送りました。

 

 皆川城、城のかたちがわかりやすく、実際に登ってみると、確かに法螺貝のようにぐるぐるまわされる城でした。城の規模自体はそれほど大きくはないので、籠城できても200人程度が限界かも?でも、そんなコンパクトな城が大好きです!

 

 では、今日もブログをお読みいただき、(人''▽`)ありがとうございました☆