おいしそうな桃のある城
岡山は僕の好きな街のひとつ。岡山城はもちろん、美しい後楽園もあるし、素敵な路面電車も走るし、駅前にはどでかいショッピングモールもあるw
それはともかく、その街が歩んできた歴史を大切にしているところって好きです。
元々の岡山城を築城したのは、金光氏ですが、その後、宇喜多家の治めるところとなり、特に宇喜多秀家の時代に現在の岡山城の骨子ができたようです。
岡山には何度か行ったことがあるのですが、これは今から4年前の12月に行ったときに撮影した写真です。手前側に見えるのは、水堀ではなくて、旭川という天然の川。もう城に入る前からわくわくしてしまう!!
後楽園を経由して、城の北側から入ります。
石垣がたまらん!
げふんげふん。ちょっと興奮しすぎましたw
岡山城は、昭和20年の岡山大空襲で焼失してしまったのですが、月見櫓だけは生き残り、往時の姿を伝えてくれます。
こちらは宇喜多時代の石垣。岡山城を築城した宇喜多秀家が城主だったときの石垣で、発掘調査で発見されたそう。石そのものの形をうまく活かした野面積ってやつですねえ。
この角度からの岡山城も好きです。岡山城は「烏城」なんて言われるほど、黒っぽい色をしていたそうですが、日を浴びていると、灰色にも見えますね。
また岡山城に行きたくなってきた!
いよいよ見えてきた岡山城です。お相撲さん、という例えがいいのかわかりませんが、どっしり構えたかたちをしてますよね。現在の建物は再建なので、建物の中は資料館になっています。
もう中に入ろう!
といっても、中の展示物を撮影するのは控えて、城の格子から覗いて見えたキンキラキンのしゃちほこです。奥に見えるのは後楽園です。一見、野球場っぽく見えますが、大名庭園ですね。
帰り際、本丸にある門で見つけたおいしそうな桃!?
そう、岡山は桃太郎の街でもあるんですよね。
駅から降りると、桃太郎ご一行の銅像が立っているし、さらに駅から岡山城に至る道のいたるところにさる、きじ、いぬの銅像が立っていました。
この瓦は史実に基づいたものなのか、それとも観光目的のものなのか。。。よくわかりませんでしたが、こういうアイディア好きだなあ。さりげなくあるのがまたよし!
以上、岡山城をご紹介しました。城もいいし、近くの後楽園もいいし、毎日でも通いたいくらい雰囲気の良いお城です。
もういっそ岡山に住みたい!
さてさて、岡山城の骨子を作った宇喜多秀家はもちろん天翔記にも登場しています。
政才 128B
戦才 152A
智才 88C
完全に合戦向き、と思いきや、技能はないし、兵科も最高で騎馬Cなので、とにかく使いづら・・・もとい育てがいのある武将に設定されています。豊臣五大老に名を連ねたのにねえ。。。関ヶ原の戦いでケチがついた感じです。
それでは、本日もブログを読んでいただき、(人''▽`)ありがとうございました☆
日本100名城「湯築城」
こんばんは!
11月になり、朝晩とだいぶ肌寒くなってきました。こういう季節は、温泉に入って芯から温まりたいものですね(*^▽^*)
今日は温泉にちなんで、日本100名城にも選ばれている、愛媛県の松山市の湯築城(ゆづきじょう)を紹介します。「湯を築く」なんて、いかにも温泉っぽい名前ですよね♪ それもそのはず、湯築城は道後温泉のすぐそばにあるのです。
湯築城の素敵だったところ
1.キレイに整備されていて、城の範囲がとてもわかりやすい
2.地域に愛されているアットホームな城
3.なんといっても城のあとは道後温泉!
では、ご紹介していきましょう!
1.キレイに整備されていて、城の範囲がとてもわかりやすい
JR松山駅から、坊ちゃん電車に揺られて、道後温泉方面へ。公園前で下車して、湯築城はすぐのところにありました。湯築城は、現在公園として整備されてます。
中央の丘陵を囲うように今は水堀、土塁などが整備されて、とてもきれいに見ることができます。家の近くにこんな城跡があったら、僕なら毎日通います(笑)
湯築城は、戦国時代に伊予(今の愛媛県)を治めていた河野氏が拠点としたところ。
こちらは土塁展示室。なかなか迫力がありました!
2.地域に愛されているアットホームな城
僕が行ったときは、2020年2月末(国内での新型コロナウイルス感染拡大のぎりぎりのタイミングでした)でしたが、桜でしょうか。とてもきれいな花を咲かせていました。湯築城の東側は遊具などが設置されていて、近くの小学生たちや親がたくさん集まって、遊具で遊んだり、花見をしたりして、みんなで楽しそうに過ごしていました。ひっそりしたたたずむ城も好きだけれど、こういう地域のみんなに愛されている城もいいですよね!
3.なんといっても城のあとは道後温泉!
湯築城を見たあとは、道後温泉へ。そこで一泊してきました。城を巡ったあとに温泉に入って一泊する。そんなぜいたくな時間の過ごし方が他にありましょうか(笑)。
そういえば、よく武田信玄が負傷した兵たちに温泉を勧めて、怪我の早期回復を狙ったという話を聞きますが、河野氏もそんなことをしていたのでしょうか?ここでは、湯に浸かりながらも戦国時代の妄想が止まりませんでした(*^▽^*)
閑話休題。
以前、PS版「信長の野望 天翔記」の1534年スタートで、河野通直を取ってプレイしたことがありましたが、北から大内・毛利連合、西から大友が攻めてくるなど、相当に厳しい戦いを強いられたことを思い出します。序盤で、一条と長宗我部を滅ぼして、戦才152の本山茂宗と戦才138の吉田孝頼を鍛え上げて、海岸線で何度も食い止めたのは思い出です(笑)現実の河野氏もきっと大変なかじ取りを迫られることが多かったのだろうな。。。と思いました。
今日もブログを読んでいただき、(人''▽`)ありがとうございました☆
めっきり寒くなりましたので、どうぞ温かくしてお過ごしください♪